ブタメガネ「それでも今日を生きている」

太っている男のブログ。デブ嫌いはそっ閉じ願います。

海に来たら貝殻を拾え

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photo credit: angela7dreams via photopin cc

海に来たら貝殻を拾え。
彼は僕にそう言った。
貝殻は言わば貝の亡骸だ。失われた命の痕跡に美を見出すのだ、と。
しかし打ち上げられた藻屑を海に投げ返すことに夢中になっていたその時の僕にその言葉は届かなかった。

公園に来たらどんぐりを拾え。
彼はそうも言っていった。
帽子が付いているモノは10点。付いていないモノは3点だ。何気ない物の美しさに気が付く繊細さを育てろ。だが集め過ぎには注意しろ。良い大人は限度を知っている。5個で35点がベストだ。
5個で35点になる組み合わせを考え始めた僕の頭を彼の言葉は横滑りしていった。

野原に来たら蝶を追え。
これも彼の言葉だ。
追うことが重要だ。捕獲は目的ではない。注意しろ。ただただ蝶を追うこと自体が己に対する問いかけである。蝶を我が物にしたい欲望と蝶に自由であって欲しいという願い。矛盾を抱えるのだ。
彼がそう口にした野原は冬を迎えたばかりで、当然蝶の姿などなく、僕は僕でひっつき虫に夢中であったのでやはり彼の言葉は僕を素通りした。

いつだって彼の言葉は僕に届かなかった。
面白味も正体もなく無意味だった。
ただ、それがどうやら僕に向けられた助言であるらしいことは理解していた。
余計なお世話だった。

ある時、思い切ってその思いを彼に告げた。
彼はショックを受けた様子だった。
寂しげな笑いを浮かべ僕の前から姿を消し二度と戻らなかった。

それが彼と僕との間で交わされた交流の全てで、しかも僕はその記憶すら捨てた。

何年か後、知人たちと生牡蠣を食べに出かけた。
その内の1人が生牡蠣を手に取りなが「牡蠣を食べたことが会社に知られたとしたら私は会社を首になるでしょう」と嬉しそうに言った。
へぇ。そんなこともあるのか。
僕は感心しながら牡蠣殻を足元の一斗缶に放った。

貝の亡骸がカチャカチャと喧しく鳴った。